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オーキンレック
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オーキンレック
型式歩兵戦車 Mk.III バレンタイン兵科中戦車
画像装備欄
オーキンレック.jpg空きスロット
空きスロット
空きスロット
空きスロット(改)
ステータス
No.041No.???
★★☆☆☆☆☆☆☆☆
体力40(?)/??(?)/?
火力27(?)/??(?)/?
命中43(?)/??(?)/?
装甲31(?)/??(?)/?
回避10(?)/??(?)/?
対空8(?)/??(?)/?
偵察9(?)/??(?)/?
Lv1裸(Lv1初期装備込み)/改LvMAX強化MAX裸
占領可→?
燃料13/70(?)?/?(?)
弾薬13/68(?)?/?(?)
1戦分の通常消費量/Lv1容量(改LvMAX)
改良・昇格
改(Lv25)
図鑑説明
クルセイダー作戦は私が指揮して、
 み・ご・と! 勝利したのだ! あーっはっはっはっは!
たっぷり兵士と軍備を整えるのは当たり前なんだけど、私が他の将軍と違うのは、
別け隔てなく皆と仲良くしたことだよ!
そしたら皆が私のことを支えてくれて、弱小軍と呼ばれてたのに勝てたんだ。

CV:東城日沙子   イラストレーター:墨洲

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元ネタ紹介 Edit

クルード・ジョン・エアー・オーキンレック元帥(1884 - 1981)。愛称はオーク。豚面の方ではない。


イギリス軍の駐屯地があるアルダーショットで陸軍大佐の家に生まれる。
当時の英軍士官は貴族階級でもない限り、軍の俸給だけでは生活に不自由するレベルで貧乏していたようで、オーキンレックも奨学金などを貰って士官学校を卒業している。
モントゴメリーの自伝によれば、当時士官学校を卒業しても任地が英国内だと、付き合いその他の関係で尉官の給与ではとてもやっていけなかった。
それに対してインド方面に赴任されると、相対的に生活費が安いので暮らしていけることからインドへの志望は大変な人気があり、
士官学校を30番以内で卒業しないと希望がかなわなかったとされる。(モンティは36位であえなく落選した)
オーキンレックはどうやら30位以内には入れたようで、インドへ赴任した。


現地では第62パンジャブ連隊に所属すると、部下と信頼関係を築くため早速現地語を習得し、流暢に会話できるようになったので部下からも信頼を得た。
そのままインドで昇進を重ね、第一次大戦ではインド方面軍を率いて中東で戦い、終戦時は少佐になっている。


戦間期もインドで活動し、インド方面での軍の近代化などを手がけていた。第二次大戦が始まると中将に任命される。
ノルウェーでの軍事作戦のためインド師団とともに本土へ召喚されるが、結局ノルウェー方面の展開はグダグダに終わったため、
そのままインドに帰って総司令官となる。


北アフリカ戦線にロンメルが乗り込み、ウェーヴェル率いる英軍が大きな損害を受けると、オーキンレックはウェーヴェルの後任として、
1941年7月に中東方面軍の総司令官に任命された。
同時期に本格的に始まった米国からのレンドリースによる補給もあり、11月にはクルセーダー作戦により破竹の快進撃を続けていたロンメル軍を初めて後退させ、
戦線を押し返したが、伸びきった補給線の再構築中に(後退した分補給線が短くなったので立て直しが早くなった)ロンメル軍の反撃を受ける。
1942年6月にはついにトブルクを失陥し、最終防衛線エル・アラメインでなんとか食い止めるものの大きな損害を出して膠着状態に陥り、
後任のアレグザンダー中将(とモンティ)と交代した。
その後1年近く宙ぶらりんの状態になるが、ウェーヴェルがインド方面総司令官から総督になったので古巣のインド軍総司令官に戻り、
1948年まで務め上げてから軍を退役した。


戦後は事業などにも手を出すが失敗し、水彩画などを描きながら余生を過ごしたという。

バレンタイン歩兵戦車 mkI-XI Edit

正式名称は歩兵戦車 Mk.Ⅲ バレンタイン。Mk.ⅠはマチルダⅠでMk.ⅡはマチルダⅡである。
1936年以降、世界情勢が不安になる中、急速に戦車の近代化の必要性に迫られた英陸軍に対し、
巡航戦車の製造設備を流用できる小型で生産性の高い歩兵戦車として、ビッカース社が独自に計画したものを軍が追承認する格好で開発が始まった。
ところが小型で将来の発展性に乏しい戦車に開発のリソースを回すことに難色を示され、バレンタインの計画は一旦停止させられた。
しかしヨーロッパの情勢はどんどん悪化したため、開発は続行されることになる。
ドイツのフランス侵攻に援軍として参加した英軍戦車は重装甲のマチルダⅡ以外は散々な評価であり、さらにダンケルクに装備の大半を放棄してしまった。
もはや頼れそうなのはこの小さな戦車しかない。
バレンタイン戦車は急ピッチで製造が進められ、英国本土の危機が空軍の奮闘によりひとまず去ると、苦戦の続く北アフリカ戦線に送られた。
トブルク包囲網解除を目指すクルセーダー作戦で初陣となったバレンタインは小柄ながら60mmという装甲厚でドイツ軍に立ち向かい、一定の成果を挙げた。
とりわけバレンタインは、クルセーダーのような巡航戦車に採用されたリバティエンジンや、
2つのエンジンを整備しなければならないマチルダⅡと違って機械的な故障が少なく、エンジンの信頼性も高かったので評判が良かった。
榴弾を持たない主砲の2ポンド砲だけはどうしようもなかったが。


やがてより強力な戦車が登場すると一線を引いたが、イギリスとカナダで合わせて8000両が製造され、大戦中の英国戦車としては最多の生産数であった。
その約半数はレンドリースとしてソ連に供与され、軽くて高い信頼性を持つことからソ連軍でも好まれた。
1945年の満州への侵攻まで使われている。

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