Top > ドゥミトレスク

ドゥミトレスク
HTML ConvertTime 0.063 sec.
ドゥミトレスク
型式R-2兵科軽戦車
画像装備欄
ドゥミトレスク.jpg37mm vz.34 L/40
空きスロット
空きスロット(改)
---
ステータス
No.126No.???
★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
体力32(?)/??(?)/?
火力20(?)/??(?)/?
命中52(?)/??(?)/?
装甲20(?)/??(?)/?
回避20(?)/??(?)/?
対空10(?)/??(?)/?
偵察14(?)/??(?)/?
Lv1裸(Lv1初期装備込み)/改LvMAX強化MAX裸
占領可→良
燃料9/52(?)?/?(?)
弾薬9/54(?)?/?(?)
1戦分の通常消費量/Lv1容量(改LvMAX)
改良・昇格
改(Lv20)
図鑑説明
東部戦線でルーマニア第3軍の指揮官として戦いました。
スターリングラードを巡る戦いでソビエト軍の『天王星作戦』が実施されると、
私たちルーマニア軍は本当に大変な目にあったんですよ…。

CV:田澤茉純   イラストレーター:そらモチ

入手方法 Edit

ドロップもしくは探索

セリフ一覧 Edit

 クリックで展開

元ネタ紹介 Edit

ルーマニア第三軍司令官ペトレ・ドゥミトレスク大将。
国情不安定なルーマニアで枢軸側として独ソ戦に協力すべく第三軍を率いて参戦。
しかしドイツ軍と比較して装備や練度で劣ることや、ドイツ軍との連携不足をソ連軍に見抜かれ、
スターリングラードへの反攻作戦となるウラヌス作戦で集中的に狙われ、わずか5日で壊滅的な打撃を受ける。
以降ドイツ軍のもとで参謀長にヴェンクを置いて再編され、1944年まで各地で戦い、柏葉付鉄十字章を受ける等活躍する。
しかしルーマニア国内で国王によるクーデターが起こり、連合国側で参戦すると予備役に回され、終戦後戦争裁判で有罪となり投獄された。
1948年ないし50年に獄死したとされる。

R-2(LTvz.35)軽戦車 Edit

チェコスロバキアで開発された軽戦車。チェコ国内だけで300両配備されたほか、ルーマニアにも120両ほどが輸出されR-2戦車として配備されている。
1938年からドイツがチェコを併合したため、チェコ国内に配備されていた本車は35(t)戦車としてドイツ軍の正規装備となった。
主砲に37mm砲を装備し前方25mm、側面と後方15mmという適切な装甲配置は、
当時の軽戦車としても完成度の高いもので、1号戦車と2号戦車が主力だったドイツ軍は重宝したという。
1939年に始まったポーランド侵攻にも早速投入されたが、
ここで35(t)戦車はTKS豆戦車(20mm砲装備)1両とTK-3豆戦車(7.92mm機関銃装備)2両の待ち伏せにより、
13両も撃破されるという不名誉な損害を被った。ポーランド人かて戦えるんやでー!
以降も38(t)戦車や数の揃い始めた3号戦車、4号戦車とともにドイツ軍の主軸であったが、独ソ戦が始まるとT-34の前に全く歯が立たず、
ドイツ軍・ルーマニア軍ともに配備していたほぼ全車を損耗した。


ちなみに変速機及び操向装置には当時画期的な圧縮空気を用いたものを搭載していたが、
ロシアのような極寒地では作動不良が多かった。
ドゥミトレスクが「寒い場所で変速機に自信が無い」と言っているのはこのため。

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 元ネタ通り、輸出された35tなので迷わず初期姫にしました(なおチェコスロバキア国内でのLT-35の評価は即座にLT-38が採用されたことから察しよう
    体力は32、燃52の弾54
    初期装備は37mm vz.34 L/40。素ステは上から20,52,20,10,14,可
    イタリア娘からさっさと47㎜戦車砲を剥いで持たせるが吉 -- ヤクモ? 2019-03-30 (土) 16:12:24
お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS