メッセ のバックアップの現在との差分(No.1)
CV: 田澤茉純 イラストレーター: シャインゼロゴ 元ネタ入手方法★2:探索 ★3:ドロップもしくはプレミアム招集 コメントセリフ一覧
元ネタ紹介イタリア軍において最も有名かつ有能な将軍といわれたジョヴァンニ・メッセが元ネタ。 一兵卒から戦功を重ねて最終的に元帥にまでのし上がった、メ○ルスラッグのコンバットスクールのキャラのような経歴の持ち主である。 装備的にも貧弱なイタリア軍を率いて八面六臂の活躍をしたメッセだが、その中でも特筆すべきは「彼女」も述べている二つの戦いだろう。 一つはドイツのバルバロッサ作戦に呼応して開始されたロシア遠征。 メッセ率いるイタリア・ロシア戦域軍は、戦車大国ソ連相手に対戦車装備を欠いており、ドイツからは全くアテにされていない有様だった。 しかしメッセはその速力を生かした機動戦でソ連軍を翻弄し、戦車など自軍で対処できない相手はドイツに任せるといった「イタリア式電撃戦」を展開。 数でも勝るソ連軍を次々と撃破して拠点を占拠してみせ、あのヒトラーですらイタリア軍の戦功を賞賛するほどの活躍を見せたのである。 もう一つは北アフリカ、エル・アライメンの戦い。 戦線を維持していたロンメルが病に倒れる中、ドイツ、イタリア軍の二倍以上という圧倒的な戦力で攻め寄せる連合軍。 ムッソリーニの無謀でしかない対ソ戦継続を批判して左遷同然に、そんな緊迫した情勢の北アフリカに着任したメッセは 反目しがちだった独伊両軍をうまく纏め上げ、かつてフランスが構築した要塞線「マレス・ライン」の再建に成功する。 マレス・ラインの攻防は凄惨を極め、大軍で猛攻をかける連合軍はその都度イタリア軍の猛烈な反撃に遭い攻勢が頓挫、多くの死傷者を出して撤退したが 守ったドイツ、イタリア軍も連合軍の攻勢の度に部隊が一つ全滅するという、まさに地獄のような様相を呈していた。 因みにこの時メッセは防衛の指揮を執りつつ攻撃部隊も指揮し、ついでにその連携もとるという超人的な仕事をしていたという。 制空権も制海権も奪われ、補給すらも絶たれながらもヒトラーによる「死守命令」に縛られる絶望的な状況の中 エル・グェタルの戦いで連合軍側の戦車を50両以上破壊、5000名を殺傷するなどの戦果を挙げたものの、既に壊滅状態の独伊軍は撤退というより敗走に近い形となっていた。 チュニジアの中心地、チュニスが陥落するに至ってメッセは遂に降伏を決意、連合軍に投降し彼の戦いは終わりを告げた。 味方は勿論、敵である連合軍にすら尊敬されていた彼は降伏した後も捕虜にはされず、ムッソリーニ失脚後に発足した自由イタリア軍に参謀として参加する。 戦後は軍には残らず政治家に転身し、かつて自分を信頼し寵愛してくれたサヴォイア王家の名誉回復に努めた。 後に英国首相チャーチルが「獅子の如く戦った」と賞賛したイタリアの名将は、1958年6月11日、ローマ市の邸宅で85歳の生涯を終えた。 因みに彼が心血を注いだサヴォイア家の復権の一環である、イタリアへの帰国が許されたのは2002年になってからで、イタリア中がにわかに王家歓迎のムードに沸き立った。 しかし王位継承権を有する65歳の皇太子ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイアは2006年、マネーロンダリングや武器の横流しなどの罪状で逮捕されてしまう。 皇太子は亡命中に各国の王族や有力者と豪遊を繰り返し、闇社会、特にマフィアとの繋がりも深かく、売春組織のボスまでやっていたロクデナシだったのである。 メッセが見た王政復古の夢は、他ならぬサヴォイア王家の血筋によって完全に潰えてしまったのだった・・・。 SPA-Viberti AS.42 "Sahariana"イタリア軍が1942年から配備を始めた四輪駆動車。 イギリス軍が北アフリカで使用する四輪駆動車に衝撃を受け開発された。 完全武装した兵士を最大で5人迄乗せられる。 最大の特徴は車体前後に搭載された各200L入りの燃料タンクと、車体側面に最大24個搭載可能なジェリカンである。 これにより最大で燃料600L(ドラム缶3本分)と水80Lを積んで走り回る事が可能な、走るミニタンクローリーでもあった。 お誕生日12月10日 コメント |
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