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シェーラー のバックアップ(No.11)
CV:山本彩乃 イラストレーター:逆さ 入手方法
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| ▼ | 余談 |
このホルムにおける一連の防衛戦の成功は上述の通り、シェーラーたちの不屈の闘志ももちろんのこと、 |
「National Safety Forces」だと日本の自衛隊の前身である保安隊になってしまうのでこの場合は国防軍の保安師団(Sicherung Division)が正式である。
ドイツ軍は対ソビエトとの戦闘を控えた1941年半ば前線に十分な兵力を持った師団を送るために兵力を1/3程度にした保安師団を編成した。
これは占領地で軍政や治安維持に従事する部隊で、予備役ながら35才以下の兵士と日本陸軍で言う補充兵役、つまり健康ではあるが兵役除外された壮年以下の人々から構成されていた。
だいたいが5000~6000人からなる師団で、ワロニエンなどの武装SSの外国人師団等とほぼ同数の編成となっていた。(元々3個師団を9個に引き伸ばしたもの)
シェーラーが率いた第281保安師団はホルムの戦いの後、戦線北部に配置されていたが1944年半ばに壊滅。1945年1月クールラントにて第281歩兵師団として再編成される。
1945年5月に第3装甲師団の残余と共に降伏した。
1942年末期、アフリカ大陸に上陸したアメリカ軍はこてんぱんにやられながらも枢軸軍を半年がかりでアフリカ大陸から駆逐したが、
その際歩兵用の画期的な対戦車兵器として投入されたのが口径60mmのM1バズーカだった。
鹵獲したドイツ軍は当時開発の進んでいた使い捨ての対戦車兵器パンツァーファウストと平行してこのM1バズーカをコピーしつつ改良した兵器の開発に着手する。
連合群のM1バズーカが口径60mmで貫通力約100mmであったのに対し、パンツァーシュレックは口径88mmでその貫通力は垂直230mmもあった。
パンツァーファウストが射程30m~100mであったのに対しパンツァーシュレックは最大180mほどの射程があり、使い勝手も良かった。
初期型は発射したロケット弾の発射炎で射手が顔面をやけどする恐れがあったため、発射時はガスマスクの着用が義務付けられていた。
その後改良型は特徴的な防盾に雲母製の覗き窓が取り付けられたが本体の重量が11kgと重くなったため、防盾を外して相変わらずガスマスクを装備して使う兵士もいた。
更に改良された型は全長を30cm短縮して本体重量を9.5kgとなり使いやすくなった。
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