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ヴィットマン のバックアップ(No.16)
CV:豊崎愛生 イラストレーター:七六 入手方法
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ドイツを代表する伝説的な戦車兵、ミヒャエル・ヴィットマンSS大尉(最終階級)。
第1SS装甲師団ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー(LSSAH)所属。装甲板にある鍵マークのエンブレムがそれである。
「ヴィレル・ボカージュの戦い」において、ティーガー戦車単騎でイギリス軍の戦車部隊を相手に無双したエピソードはあまりにも有名。
これはそんな彼がティーガーを駆る前の、かつての姿である。
1941年6月、独ソ戦開戦に伴い、彼の所属するLSSAH旅団はエヴァルト・フォン・クライスト上級大将率いる第1装甲集団(通称:クライスト装甲集団)に配属された。
当時Ⅲ号突撃砲の車長だったヴィットマンSS軍曹は、7月16日からのウマーニ包囲戦において、16輌(諸説あり)のソ連軍戦車部隊と遭遇。
これにヴィットマンは単騎で立ち向かい、地形と機動力を駆使して瞬く間に敵のT-26戦車6輌(もしくは7輌)を葬り去った。
この戦いで挙げた功績により、二級鉄十字章を授章した。
その後もLSSAH旅団はソ連へ進軍を続けるが、冬の寒波と泥濘によってドン川沿いのロストフ・ナ・ドヌで停止。
補給の停滞や冬季装備の不足、ソ連軍の激しい抵抗によって徐々に戦力を消耗させられる中とうとうヴィットマンは負傷し、ドイツ本国へ送還される。
彼が復帰したのは1942年7月。先の戦いで上官であるマックス・ヴュンシェの推薦を受け、バート・テルツSS士官学校へ入校した。
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