アールニオ のバックアップ(No.2)

元ネタ紹介 Edit

マッティ・アルマス・アールニオ(1901-1984)。
1917年のフィンランド内戦で、愛国心に燃える弱冠16歳の若き兵士として白衛軍に志願。
その後はエストニアやラトビアの独立戦争に従軍し、1920年に予備役となってからは士官学校に入り、大尉に昇格すると参謀本部に配属される。
1939年冬戦争が勃発すると、開戦から2ヶ月足らずのうちにある深刻な問題が発生した。
第四猟兵大隊指揮官のマルッティ・ヌルメン少佐が移動中交通事故死してしまったのである。
アールニオは急遽後任として少佐に昇格させられると、この大隊指揮官に任命された。当時同大隊にはトルニが所属している。
ラドガ湖の北側を進撃するソ連軍に対し、アールニオはモッティ戦術と呼ばれるゲリラ戦を展開し、ソ連軍を散々にやっつけた。
この功績とモッティ戦術の卓越ぶりから「モッティ・マッティ」の渾名を頂戴する。
継続戦争においてもカレリア奪還作戦などに従事したが、戦後敗戦国としてソ連から戦争犯罪人として多くの軍人が軍事裁判にかけられることになると、
他の軍人らとともに秘密警察の手を逃れ中立国スウェーデンを経由して逃亡。
アメリカを経由し南米に落ち延びる。
南米ではソ連が特に戦中も懸賞金を掛けて探しまわっていたトルニと再開し、トルニがアメリカ亡命を企てるまで生活の世話をしてやった。
1948年、マンネルヘイムの後を継いで大統領になったパーシキヴィにより軍人への特赦が出された。
アールニオも1952年、祖国がヘルシンキオリンピックを開催し、ソ連への賠償を完済したことなどで落ち着いたことから、南米で稼いだ財産を手に帰国。
冬戦争の回顧録を出版し、1984年に83歳で世を去った。

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