パーヴォ・タルヴェラ(1897-1973)。 1916年第一次世界大戦にドイツ軍兵士として従軍した後、フィンランド内戦で故郷に帰ると白衛軍に所属して戦った。 内戦終結後はソ連とカレリア地方の領有をめぐって遠征軍に参加、平和条約締結後も2年間にわたってゲリラ戦を行い、1922年に帰国。 戦間期は参謀本部で働いていたが、どうも上司とウマが合わなかったようで、1930年代に軍を一度辞め、民間の製紙会社で働いている。 タルヴェラは軍内部に広い交友関係を持っていたようで、マンネルヘイムは一時期、彼を養子にしようと考えたことがあるとかないとか。
冬戦争が始まると軍に復帰し、7個大隊からなるコマンド部隊を率いてソ連軍2個師団を殲滅するなど目覚ましい活躍を見せる。 その後はレニングラード北部のカレリア地峡を冬戦争終結まで防衛にあたった。 冬戦争~継続戦争間の短い平和な機関、タルヴェラはマンネルヘイムの私的な代理人としてドイツに渡り、様々な交渉を行った。 継続戦争が始まると再びフィンランド軍の指揮官として国境線を冬戦争以前の位置まで押し戻すと、それ以上の戦線拡大を望まないフィンランド軍の方針により防衛に回り、 タルヴェラはフィンランド軍の代表としてドイツへ渡った。 1942年6月4日にはマンネルヘイムの誕生祝いに突如訪問を思いついたヒトラーのためあれこれセッティングに奔走させられる。 1944年6月、バグラチオン作戦と同調したソ連軍の大攻勢が始まると、ラドガ湖と東のオネガ湖を結ぶスヴィル川の防衛戦を指揮したが敗走。 フィンランド軍はイロマンツィまで押し込まれたがラーッパナ少将の反撃により事なきを得た。
戦後は軍を退役し、冬戦争以前に務めていた会社の事業の一環として同様南米渡って3年間勤務し、49年に帰国。 以降はヘルシンキ市議会議員などを務めた。
1941年8月、フィンランド軍で2番目となるマンネルハイム十字章を受けた。
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