カナダ軍の砲兵指揮官だったアルバート・ブルース・マシューズ(1909~1991)。 株式仲買人の家に生まれる。父は副知事も務めたエドワード・マシューズ。 18歳の時王立軍事大学へ入学を希望したが断られ、海軍も色覚異常を理由に断られた。 仕方なく翌年民兵に所属し、大尉まで昇進する。 第二次大戦が始まると英国への支援として派遣されたカナダ軍第1歩兵師団に所属し、 1943年には当時カナダ軍では最年少である33歳で准将に昇任した。 シチリア島・ノルマンディーなどの戦いに参加し、 1945年オルデンブルグを奪取してヴィルヘルムスハーフェンへ向かう途中終戦を迎える。 戦後はいくつもの大企業で取締役などを勤め、一時は軍に戻って指揮官も務めている。
第一次大戦後、イギリス陸軍は自軍の18ポンド砲(口径84mm)と4.5インチ(114mm)榴弾砲を2つも運用するのは無駄だと考え、 両方を統合した新型砲の開発を始めた。 ところがさらなる予算不足からこの新型砲は極力18ポンド砲の改良で済ませるようにという命令が下り、 結局18ポンド砲の砲身の内側を1.8mm削って無理やり87.6mm口径とし、これに弾頭重量25ポンドの砲弾をねじ込んでぶっ放す野砲が完成した。 このため25ポンド砲の初期型Mk.Ⅰは18ポンド砲とほぼ見分けがつかない。 この間に合わせのMk.Ⅰを運用する傍らで新型の砲身と砲架によるMk.Ⅱが製造されたが、対戦車戦闘で初速が不足していることが判明したため、 スーパーチャージ弾と呼ばれる火薬量の多い徹甲弾を発射できるよう、マズルブレーキを取り付けて製造されたのがMk.Ⅲである。
イラストで砲弾部分だけ抱えているように、この砲は砲弾部分と火薬部分を分けて装填する分離装薬式である。 ただし火薬部分は金属薬莢なので装填は比較的楽だった。
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示