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ハールトマン のバックアップ(No.3)
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カール・マグヌス・グンナル・エーミル・フォン・ハールトマン(Carl Magnus Gunnar Emil von Haartman)。1897年ヘルシンキ生まれ。
フィンランドでの最終階級は中佐。
自己紹介欄にもある通りハールトマン家は貴族の家柄である。
他の貴族同様ハールトマン家も軍人として教育を受け、1918年フィンランドの内戦が始まるとマンネルハイム率いる白衛軍に竜騎兵として参加する。
その後はパイロットの養成を受けたり、イタリアへ留学するなどしていたが、1924年に軍を退役。
一家でアメリカへ移り住むと、職を転々としながらアメリカ大陸のあちこちを渡り歩く。
折しもハリウッドは映画ブーム真っ盛りであり、軍人として経験豊富なハールトマンは会社を興し、
軍事アドバイザーや脚本に携わり、時には自らメガホンを取った。
ハールトマンが監督・脚本・主演の「Korkein voitto」という映画がある。(日本未公開)
1927年にはアカデミー賞を受賞した傑作無声映画「つばさ」のアドバイザーの1人として参加。
1930年には大富豪ハワード・ヒューズによる超大作映画「地獄の天使」にも出演するが、
トーキー映画とミュージカルの隆盛により訛りのある外国人役者が敬遠され始めると、会社を人に譲って映画界から手を引く。
1935年に父が亡くなるとハールトマン家の当主となり、スペイン内戦にナショナリスト(フランコ)側の義勇兵として参加。
17もの勲章を授与され「エル・カピタン・フィンランデス」(フィンランド大尉)と呼ばれた。
1939年に祖国で戦争が始まると第34歩兵連隊に所属し、第二大隊を指揮する。この連隊にはあのユーティライネンやハユハがいた。
継続戦争では連隊指揮官に昇格。冬戦争と継続戦争を闘いぬいたのち、1944年に軍を退役。
終戦後は共産主義を嫌ってフランコ政権下のスペインへ一家で移り住み、そこで余生を過ごして1980年に83歳の生涯を閉じた。
20×138mm弾を使用する総重量50kgにも及ぶ巨大な20×138mmB弾を使用した対戦車ライフル。
1939年にフィンランドで開発・採用されあまりにも巨大で重いことから「ノルスピッシィ」(象撃ち銃)とアダ名された。
その貫通力は300mで垂直25mm、傾斜60°で20mmもあり、冬戦争に投入された試作品2丁は、
当時ソ連が主力として送り込んだBT戦車はおろか、T-28中戦車も車体正面以外すべて貫通可能だった。
制式採用され量産品が配備された継続戦争時にはT-34などの強力な戦車が投入され有用性は薄れたが、
運転席の防弾ガラスや機関銃口、ペリスコープなどを一撃で破砕する威力を持つことから頼りにされた。
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