44年8月29日、大佐に昇進し翌日参謀長の任を離れる。
同年8月31日、在スロバキア・チェコスロバキア軍(Československá armáda na Slovensku)司令官に任官。公式にはこの時を以て「蜂起軍司令官」とするべきであろう。
9月5日、スロバキア全国評議会(SNR)より准将に任命され、同月10日に在スロバキア・チェコスロバキア軍が在スロバキア第1軍(1. československá armáda na Slovensku)へ改編されると同時に同軍司令官に任官。
従って「9月7日にヴィエスト将軍へ指揮権を移譲」とするのは誤りである(後述)。
10月6日、第2チェコスロバキア独立落下傘旅団(2. československá samostatná paradesantní brigáda)と共にルドルフ・ヴィエスト少将がスロバキアに到着。それを受け10月7日ヴィエスト少将と在スロバキア第1軍司令官を交代し、在スロバキア第1軍陸軍司令(Velitele armády)に任官したとされる。確かに在スロバキア第1軍は第1チェコスロバキア独立戦闘機連隊を指揮下においており、これを除く地上部隊指揮官としての役職(実質的な次席指揮官)であると考えれば矛盾は無いと思われる。 そして、そもそもチェコスロバキア軍に「副指揮官」なる制度、役職は存在しない。
11月3日、捕虜となり45年某月某日に処刑されたとされる。
1946年10月26日、少将(Divisní generál in memoriam)に特進。
1969年8月1日、中将(generálplukovník in memoriam)に特進。
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