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シュトラハヴィッツ のバックアップ(No.5)
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ヒアツィント・グラーフ(伯爵)・シュトラハヴィッツ・フォン・グロース=ツァウヒェ・ウント・カミネッツ。最終階級は予備役中将。
当時ドイツ領(現ポーランド領)の上シュレージエンの名家に生まれる。
文武両道で知られ軍では最名門とされる国王の護衛隊に所属しながら、乗馬やフェンシング、陸上競技もオリンピック代表選手に選ばれるほど。
(戦争でオリンピックは開催されなかったが)
第一次大戦に従軍し戦功を上げたが捕虜になり、終戦まで収容所で過ごす。
終戦後、戦間期も軍人として過ごしながら、軍の機械化推進派になり、戦車部隊への配属を希望して受理される。
ポーランド侵攻により第二次大戦が始まると東部戦線で戦い、騎士鉄十字章を受ける。
第6軍の指揮下に入りスターリングラードで戦ったが、この時重傷を負って後送中にスターリングラードは壊滅した。
その後はグロースドイッチュラント師団、さらには北方軍集団として東部戦線で戦い続ける。
1944年、東部戦線で攻勢を仕掛けたシュトラハヴィッツは、地雷原で立ち往生した戦車中隊を発見し、これを叱責する。
この中隊長が度重なる戦闘で部下に不満を持たれていることを見ぬいた彼は指揮権を取り上げ、
中隊で人望のある若い戦車長を指揮官に任命した。(これがカリウスだった。)
末期には故郷上シュレージエンの防衛を担当するが、戦況が絶望的になると部下を非人道的なソ連軍に渡すまいとチェコスロバキアへ撤退し、アメリカ軍へ投降した。
戦後はシリア軍の顧問などを務めたが、故郷は社会主義化したポーランドにより貴族家が断絶し、帰ることなくバイエルンで暮らし、1968年に亡くなった。
ドイツ軍は戦車部隊の指揮用に指揮戦車を製造し、運用していた。
無線機やフレームアンテナを備え指揮統制が可能だったが初期のD1~H型は主砲が木製のダミーで機関銃までの武装しか備えていなかった。
前線からより強力な武装を備えた指揮車両が要求された結果、通常の戦車型に長距離無線機を増設した指揮戦車が開発された。
三号戦車J型をベースにして製造された42口径5cm砲付き指揮戦車は、1943年9月までに185輛が作られ、シュトラハヴィッツ戦闘団にも配属されている。
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