ドロップもしくは探索
イタリア王国陸軍第132装甲師団「アリエテ」に所属していたブルーノ・ピエトロ中尉。 1942年10月23日、ロンメル不在の隙を突き、モントゴメリーはエルアラメインで大攻勢をかけた。 世に言うエルアラメイン第二次会戦である。 代理指揮官シュトゥンメ将軍は戦死し、ドイツアフリカ軍団は大混乱に陥った。 そんな中イタリア軍は質・量共に劣勢であるにもかかわらず奮戦し、連合軍の侵攻を一部食い止めていた。 11月2日、戻ってきたロンメルは主力部隊をフカまで撤退させるが、それは取り残されたイタリア軍の決死の抵抗あってのものだった。 11月3日、ロンメルの元へ総統から死守命令が届くが、ロンメルは自軍の壊滅的な状況により不可能であると返答。 この日、ブルーノも肩を負傷し後送が必要だったが、戦車団に残り指揮を続けた。 11月4日、ついに総退却命令を出したロンメルが後方へ下がる中、取り残されたアリエテは絶望的な戦況で奮闘。 ブルーノは敵弾がハッチに命中し、割れた防弾ガラスで顔を血まみれにされながらも味方を指揮し続けたが、 直撃弾により乗っていた戦車が爆発炎上、戦死した。享年22歳。 翌日にはパスクッチが残存兵力で最後の突撃を敢行、戦死し、両名は武功黄金勲章を授与されたのだった。
第二次世界大戦当時やたらに冗談ばかり言われるイタリア軍の食糧事情だが、実態はアメリカ軍やドイツ軍とそう大差はなかった。 特にブルーノさんが「不味い」と太鼓判を押す牛缶は米軍で言うCレーションに相当するRGとよばれる糧食に付属していたもので、 大して美味くもない上に味が単調で飽きやすく、しかも戦闘が長引くと毎日それを食べなければならないというひどいものだった。 他に堅パン・甘いビスケット・魚の缶詰(これも飽きる味だったらしい)、2種類の味の粉末スープがあった。 もっと簡単な個人用携帯食料はツナ缶とハムの缶詰に堅パンとビスケット(チョコレートフィリング入り!)でこっちも缶詰のお肉はまずかった。 缶詰に「AM」(Amministrazione Militare:「軍事支給」)とプリントされており、通称「AM缶」と呼ばれる。 あまりおいしくない味とAMの記号から、北アフリカ戦線のイタリア兵からは『死んだロバ』(Asino Morto)『死んだアラブ人』(Arabo Morto)、 ドイツ兵に至っては『ムッソリーニの尻』(Arsch Mussorini)というあだ名で呼んたという。 一方で、調理器具が使える場所では、おいしいマカロニのトマトソース煮缶詰やミートボールスパゲティの缶詰が食べられ、後方の拠点ではパスタ料理 (ただし、水をあまり使わないマカロニやポレンタ、ニョッキの類)の給食も支給されていた。 ただし、パスタを調理できる本格的な野戦用調理器具を保有していたのは上級将校であり、下級将校や兵下士官とは給養に格差があった事も事実である。
お湯かダシ汁にとうもろこしの粉を加えて練ったもの。日本の蕎麦がきに近い。 塩やオリーブオイル、各種調味料で味付けしたり、肉や魚料理の付け合せにしたり、柔らかめにしてドリアにしたりチーズを載せて焼いたりして食べる。 子供でも簡単に作れる上、パスタと違って水を無駄にしないので軍隊では重宝した。
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