アラーベルガー のバックアップ差分(No.1)

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*元ネタ紹介 [#introduction]
ヨーゼフ・アラーベルガー上級兵長。
愛称は「ゼップ」。
1924年10月24日オーストリアのザルツブルク近郊の小村で家具職人の親方の息子として生まれる。
1942年に18歳でドイツ国防軍に入隊し、山岳猟兵となる。第3山岳師団第144連隊に配属され、機関銃手として東部戦線に赴く。
負傷中にソビエト軍の狙撃銃の試射・分析を担当し、この時より狙撃手として活躍。
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手に傘を持っているが、これは壊れた傘に木の枝などを差し込んで偽装し、そこから狙撃を行っていたことによる。本人曰く、カモフラージュ用の装備よりも軽くて便利だった、とのこと。
山岳猟兵だっため、市街戦はほとんど行っていない。
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1945年の終戦までに通算257名を倒し、マティアス・ヘッツェナウアーに次ぐドイツ全軍で2位の記録となる。
終戦間際にシェルナー元帥から騎士鉄十字章を受章するが、これは二級鉄十字章を改造したもので、結局本物は手元に届かなかった。
戦後は故郷に帰り、2005年に出版されたアルブレヒト・ヴァッカーの筆になるアラーベルガーの伝記“Im Auge des Jägers”(「猟兵の眼に(焼き付けられた戦場)」、日本版「最強の狙撃手」)が世に出るまでほとんど隠棲状態だった。
2010年3月オーストリア、ヴァルス・ズィーツェンハイムで85歳で死去。
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「最強の狙撃手」は長らく入手困難だったが、最近になって再版された。
ただし捕虜の拷問や虐殺、民間人への残虐行為、食人などの記述があり割と覚悟を持って読まれることをおすすめする。

***照準スコープ付き銃 [#n8ec6fb7]
装備アイテムの説明には「アラーベルガーのカスタム」などと書いてあるが、あくまで軍支給品を素直に使っていただけである。
「照準スコープ付き銃」というのは支給時の正式名称。
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狙撃兵としての素質を認められたアラーベルガーはオーストリア「ゼーターラー・アルペ」という名称の陸軍演習場で4週間の狙撃兵教程を受講したが、
その2週間目に陸軍より支給されたこの銃を愛用した。
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これはターレットマウント式、ヘンゾルト社製の4倍スコープ付きKar98kで、今まで使用していたソビエト軍の鹵獲狙撃銃よりもスコープが明るく精度も高かった。
当時、国防軍の制式採用である41型照準眼鏡(ZF41)の精度が低く、前線からも不評であったことから狙撃兵教程の兵士達にはこれらのものが支給されたと思われる。
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他に前線では半自動小銃Gew43の照準器付きモデルを火器担当官から勧められているが射撃精度の点からKar98kのほうを主に使用していた。
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なお、彼の愛銃は終戦時、狙撃兵であることを隠すため突撃砲の乗員に頼んで履帯で踏み潰し、スクラップにしたとのことである。

*コメント [#contemt]
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