オコーナー のバックアップソース(No.1)
*元ネタ紹介 [#introduction]
本名リチャード・オコーナー。1889年当時イギリス植民地だったインドで生まれる。
1903年に父が事故死すると生活のため軍に入隊し、第一次大戦に従軍する。
戦間期にはインドやエジプトで陸軍と空軍戦力の連携や機械化の実験などを行った。
1940年、イタリアが英仏に宣戦布告するとオコーナーは中将に昇進となり、[[ウェーヴェル]]の配下で西方砂漠軍の指揮を任命される。
英軍は数でこそ[[グラツィアーニ]]率いるイタリア軍に劣っていたが、欠点はあれども近代的なマチルダⅡ戦車を主力とした機械化がなされており、
一方のイタリア軍の主力戦車はL3カルロヴェローチェが大半であり、歩兵の機械化も十分ではなかった。
イタリア軍の弱点を見ぬいたオコーナーはあえて前線を後退させてイタリア軍の補給線を引き伸ばさせ、
後方でしっかりと準備を整えるとコンパス作戦を発動。
モニター艦による砲撃と空軍の援護に支えられたマチルダ戦車によってイタリア軍を撃破した。
快進撃によってイタリア軍をリビアまで押し返したが、気まぐれなムッソリーニがギリシャへ侵攻を始めたことで、
援軍を送るために進撃を停止。その間に[[ロンメル]]率いるドイツアフリカ軍団が到着し、オコーナーは捕虜になってしまう。
収容所でオコーナーは早速脱走を計画し、2度実行したが最初は計画が露見し失敗、2度目は脱走には成功したものの逃亡中に逮捕された。
イタリア降伏後のドサクサに紛れて3度目の脱走に成功し、本国に戻ると[[モントゴメリー]]の配下としてノルマンディーやマーケットガーデンを戦った。
その後はインド方面に赴いて指揮を取り、1948年に軍を退役。
1981年に91歳で大往生した。
**マチルダⅡ歩兵戦車 [#le93ca30]
第一次世界大戦で戦車の運用実績のあったイギリスでは、戦間期に今後の戦車をどのような方向性で開発していくか議論が分かれた。
すなわち、十分な装甲を持って歩兵とともに進撃し、塹壕を乗り越え、主砲で歩兵を支援する歩兵戦車と、
強力な砲を快速で運用し、機動力で「電撃的に」敵を攻撃する巡航戦車である。
結局この議論は決着することがなかったため、イギリス軍は歩兵戦車と巡航戦車を二本立てで開発することになった。
この結果生まれたマチルダⅡ戦車は砲塔全周及び車体前面75mm、側面上部70mm、下部45mm+スカートアーマー25mmという当時としてはすさまじい重装甲を誇る戦車となった。
フランス侵攻時、ドイツ軍が主力対戦車砲でほとんど貫通できなかったルノーB1-bisですら全周60mmであり、
ドイツ軍の主力としていた三号戦車や四号戦車が大慌てでやっとこ50mmの装甲を用意し始めた頃である。
その一方で最高速度は24km/hしかなく、主砲は口径40mmの2ポンド砲でしかもこれには榴弾が用意されていなかった。
(榴弾がない点については3インチ榴弾砲を搭載したCS型と共同で運用することで一応弱点を補うことにした。)
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フランス侵攻・及びアフリカ侵攻で枢軸軍の前に姿を表した近代的なマチルダⅡは衝撃的だった。
3.7cm砲はおろか新型の5cm砲ですらほとんど貫通できず、高射砲陣地から借りてきた8.8cm砲でやっとのことで撃退できる有り様であり、
一方で2ポンド砲は初期の装甲が薄い三号・四号戦車やまだまだ主力だった38(t)戦車を正面からでもスパスパ貫通した。
やがて重装甲が施され長砲身砲を積んだ四号戦車やティーガーの登場により、拡張性の低いマチルダⅡは一線を退き、
大量生産されたシャーマンなどがその後を埋めていくのだが、初期の苦しいイギリス陸軍を支え、歩兵を従え進撃する機能美にあふれた姿は、
歩兵を蟻に見立てて中央に位置する女王蟻のような様子から「戦場の女王」とまで呼ばれた。
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***戦車に湯沸かし器 [#r2cd352f]
イギリス人にとっては生活に欠かせない紅茶。しかし戦場でお湯を沸かすのは大変。
紅茶を飲もうとすると、戦車兵は外に出てお湯を沸かし、紅茶をつくらなければならなかった。
これでは時間もかかるし手間もかかり、しかも危ない…それならあのエンジン付きの巨大な装甲機械を活用すればいいんじゃないか?
というわけで、戦車の電気系統を使った湯沸かし器「ボイリング・ヴェッセル (Boiling vessel)」が開発された。
オコーナーは「最新のイギリス軍の戦車」と言っているが、この装置は「第二次世界大戦終了時点で最新の戦車」だったセンチュリオン戦車に装備されたのが最初であり、
それ以降各種の戦車や装甲車に改良を重ねながら装備されてきた。
もちろん「現在のイギリス軍で最新の戦車」であるチャレンジャー2戦車にも装備されている。
今日ではこの装置はお湯を沸かすほかにレーションなどのレトルト食品を温めることにも使えるため、兵士たちの生活環境の向上には欠かせないものとなっているのである。
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***ティーバッグ [#ad8547ac]
お茶を簡単に淹れられるティーバッグ(ちなみに下着の方はティーバッ「ク」)は、オコーナーの言うとおり元々アメリカで広まったもの。
イギリスには第二次世界大戦後に持ち込まれたが、当初は人気が無かった。
しかし日常的に飲む紅茶はやっぱり簡単に淹れたい、ということで徐々に浸透し、現在では95%以上の紅茶がティーバッグで淹れられているという。

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