コルーネ のバックアップ差分(No.3)

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*元ネタ紹介 [#introduction]
ラドゥ・コルーネ准将。1895年ルーマニア貴族の家庭に生まれる。
第一次世界大戦に騎兵として従軍し、ミハイ勇敢公勲章三等を受勲する。
戦間期はフランスに留学するなどして見聞を広め、第二次世界大戦時は自動車化騎兵部隊を率いた。
[[マンシュタイン]]指揮によるセヴァストポリ要塞攻略戦では先立ってケルチの制圧でソ連軍16万人を捕虜とする功績を上げる。
以降もマンシュタインらと共に戦い、冬の嵐作戦ではスターリングラードへあと一歩と迫った。
1942年12月12日にミハイ勇敢公勲章二等、12月18日にはドイツより騎士鉄十字章を授与された。
その後もルーマニア軍を指揮して戦い続けたが、政変により逮捕される。
一度は無罪となったが再逮捕され、勾留中に肺がんが悪化し1949年に死去した。

**TACAM T-60 [#o1d853f2]
本人も言っているように対戦車自走砲(Tun Anticar pe Afet Mobil)の頭文字をとってTACAM。
#br
周辺国と比べて工業力に乏しいルーマニアでは戦前にチェコから購入していた戦車や、ドイツ軍から供与された二線級の戦車が主力であった。
しかし独ソ戦が開戦すると、T-34とKV-1の登場によりドイツ軍の一線級戦車ですら太刀打ちが難しい局面に遭遇することになる。
当然のことながらそれより貧弱なルーマニア軍にとっては大問題であった。
幸いなことに戦術的な優位から初期において大量に鹵獲されたF-22師団砲を対抗策とすることができたが、
より柔軟に運用できる戦車、あるいは自走砲が求められた。
そこで目をつけられたのがソ連軍のT-60軽戦車である。
独ソ戦においてT-34やKV-1が活躍する傍ら、T-60やT-26、BT-7と言った軽戦車も多数が投入されたものの、
装甲も薄く火力も貧弱なこれらはドイツ軍の相手にならなかった。
特にT-60は鹵獲したドイツ軍でさえ戦闘には到底耐えられないとして主砲(20mm機関砲!)を取っ払いせいぜい牽引トラクター程度にしか用いなかった。
ルーマニア軍はこれに目をつけ、ドイツ軍が鹵獲したこの「使えない」軽戦車を譲ってもらい、
車台にF-22師団砲を乗っけて自走砲にしてしまったのである。
オープントップの砲塔は機関銃を防げる程度の装甲板でカバーされているが、この装甲板も自国で作れないのでBT戦車の正面装甲をひっぺがして溶接した。
1943年前半にこの「国産」自走砲は34両が完成し、ルーマニア軍の戦線に投入された。

*コメント [#comment]
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