ゴリアン のバックアップ(No.15)

キャラクター名
型式OA vz.30兵科機械化歩兵
画像装備欄
83 ゴリアン.pngブルーノZB26軽機関銃
空きスロット
空きスロット(改)
---
ステータス
No.083No.???
★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
体力19(?)/??(?)/?
火力18(23)/??(?)/?
命中45(51)/??(?)/?
装甲11(11)/??(?)/?
回避30(30)/??(?)/?
対空5(7)/??(?)/?
偵察26(26)/??(?)/?
Lv1裸(Lv1初期装備込み)/改LvMAX強化MAX裸
占領優→優
燃料7/52(?)?/?(?)
弾薬6/52(?)?/?(?)
1戦分の通常消費量/Lv1容量(改LvMAX)
改良・昇格
改(Lv20)
昇(Lv??)?
図鑑説明
スロバキア独立国の参謀長として、東部戦線に出征したんだよ。
ドイツの言いなりになるふりをしてたけど、国の誇りを捨てられないのはみんな同じ。
笑顔で従いながら牙を研いで、民衆と一緒に蜂起したの。
結果はともかく、誇りのために戦う姿勢は大事だもんねっ!

入手方法 Edit

ドロップもしくは探索

セリフ一覧 Edit

 クリックで展開

元ネタ Edit



ヤン・ゴリアン(Ján Golian)*1906/1/26 †1945/?/?
チェコスロバキアの歴史(大戦前後)と図鑑説明にもある民衆蜂起を少しでも知っているとセリフの一個々々が涙腺にダイレクトアタックしてくる娘。だが、司令官の前ではお茶目な頑張り屋さん。
これ以上泣かしに来るのは止めてくれ。そこ、焼け野原ひろしみたいな性格だなって言ってはいけない
「スロバキア独立国」の参謀長として前線に出た事は無い…筈であるが、クリミア戦線にも従軍した快速師団の参謀長を二度も経験した事から優秀な参謀将校であるのは確かだろう。
その胸に輝く勲章は「Československý válečný kříž 1939」(をかなり省略したものだがリボンの配色からそうだと判断できる)で、40年12月に制定された祖国解放に尽くした個人・部隊に贈られるものである。ある記録によると、彼は二度この勲章を授与されている。一度は44年9月14日で、「Československá vojenská medaile "Za zásluhy" I. stupeň」と同時に授与された。そして二度目は45年8月29日。
なお、二度目の授与以降は着用の際に青銅の枝をリボン部に付けることで複数回の授与を表す。絵では小枝を付けていないので一度目の状況を表している事になる。素直に喜んでいいのか、将来を心配すべきなのか…

 長すぎる説明

OA vz.30 Edit

独軍での名称がPz. Spw. 30(t)とされるこの軽装甲車の性能は以下の通りである。

 展開

 1926年、軍はタトラT-26/30の耐久性に目を付け、このシャシーから装甲車を開発させた。翌27年から28年に掛けて試験したが装甲厚がわずか3-8mmであった為に採用されず、改良が続けられた。そして33年、後にOA vz. 30と呼ばれる試作車が完成。この試作車のモデルは遂に軍に採用され、34年1月から量産型が(タトラT-72シャシーを利用して)生産開始*21され、35年6月*22までに51両*23が生産された。
 軍はOA vz. 27の補助戦力と考えいたようだが、運用の詳細は不明である。少なくとも3両1個小隊の編成を取っていたのは確かなようだ。
 チェコスロバキア軍によって戦闘で使用された記録は非常に少ない。その内の一つは、「39年にカルパート・ウクライナ(ことカルパティア・ルテニア)へ侵入したハンガリー軍との交戦に投入された」が最終的には15両*24が撃破され、また(別の?)1両はハンガリー軍に鹵獲されたとされる。
 別の事例では「39年3月15日、第8歩兵連隊第3大隊第12機関銃中隊*25に配備されていたOA vz.30がKarel Pavlik大尉の指揮下で独軍と交戦」したと云うもので、最終的には随伴のSdkfz.222に撃破されたようである。
 その後、30両はドイツ軍に鹵獲され、スロバキア軍は18両*26を装備した。この18両は早速、スロバキア・ハンガリー戦争に投入されて1両が撃破されたとされる。
 41年6月24日1個小隊3両は快速部隊に編入され、7月8日に快速旅団に再編されるともう2両追加させた。「7月23日、Lipovecの赤軍第44山岳師団との戦闘において1両*27撃破、2両大破(理由は地雷か)の損害を受けた」為、8月上旬*28に全て後送される。この事から7月25日の快速師団への改編の際に編成から外れたと思われる。
1個中隊6両は保安師団*29所属として投入され、42年*30「11月9日にBagar中尉指揮下の4台のOA vz.30によって補強されたスロバキア部隊は強い抵抗に会った。結果、OA vz.30を3両失い撤退を余儀なくされた。装甲車に加えて、Bagar中尉を含む乗員4名を失う。さらに2ヶ月間ベラルーシに滞在した後、1943年1月12日の残りの装甲車はスロバキアに戻った」。
 その後国内に回収され、蜂起で使用するために前線への復帰を遅らせたようだ。そして44年8月29日現在、13両*31が保管されていたが何れも稼働状態では無かったようだ。そして蜂起軍が回収する前に独軍に回収され5両が(戦闘に使えない為に)射撃の的にされたとも、無事蜂起に投入されたとも伝えられる。

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • ちょっと元ネタ紹介が寂しいかなァ?まァ、書き足すからには本気でやろうか!そっちのほうが楽しいだろ!?ハハハハハッァ! -- ヤクモ? 2018-05-06 (日) 16:32:55
    • ここはWIKIなので、元ネタ紹介が寂しいと思ったら誰でも編集できますよ -- 2018-05-10 (木) 08:19:20
    • あぁぁいしてるんだぁぁぁぁ君たちをぉぉぉぉ!
      ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! -- ヤクモ? 2018-06-22 (金) 15:28:03
  • ゴリアン ★1 No.83 機歩/OA vz.30 体力19 火力23(18) 命中51(45) 装甲11 回避30 対空7(5) 偵察26 占領優 燃弾52 装備スロット数2:ブルーノZB26軽機関銃2(火力+5 命中+6 対空+2) -- 2019-03-29 (金) 15:08:16
  • まぁ…wikiだから誰でも編集出来るのは百も承知なんだが、削る必要ありますかね?戻しますよ?
    (例えばOA vz.30のスペックは複数のソースで確認したある程度信頼できるデータなので問題ないと考えたし、もし信頼できないと思って消したなら代わりのデータを上げるべきだと思う。邪魔と言うなら格納していたから邪魔では無いと言いたい) -- ヤクモ? 2019-11-19 (火) 07:33:59
    • 追記。本文のほうにしたって、チェコスロバキア軍人時代の経歴を全部カットしているじゃないか?個人が調べたことだから100%正しいとは言わないがね、削るなら削るなりに削る根拠を示して欲しいね?どこが間違っているだとか。それじゃなきゃ単に改悪しただけにしか見えませんが。 -- ヤクモ? 2019-11-19 (火) 07:40:40
  • 自分の力作エッセイ消されてお怒りの復活だー。誰も必要としていないところで行われるマニアの知識ひけらかしは醜いなー。 -- 2019-11-19 (火) 15:31:40
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*1 現役時の最終階級は准将
*2 Vyššia priemyselná škola strojnícka
*3 フラニツェ・ナ・モラヴィエは非公式な名称であり、当地の駅名である
*4 Vojenské akademie Hranice
*5 師団情報参謀か?
*6 Rychlá brigáda
*7 以前と比べ2個自動車化歩兵連隊基幹に「拡大」された旅団戦闘団を師団と言えるならば
*8 Rychlá divise
*9 後にある重要なポストに就いた。彼/彼女も登場するのでは?
*10 3個歩兵連隊、1個砲兵連隊、1個工兵/通信/騎兵捜索各大隊、1個対戦車砲中隊…という見慣れた編成
*11 Velitelství divisní oblasti 1
*12 42年11月より第13小隊(Letka 13)が編入されている
*13 Velitelství pozemního vojska
*14 Československá armáda na Slovensku
*15 1. československá armáda na Slovensku
*16 2. československá samostatná paradesantní brigáda
*17 Velitele armády
*18 Divisní generál in memoriam
*19 generálplukovník in memoriam
*20 写真からも分かるが決して車体に装備されている訳では無い。設計時の想定運用が歩兵支援である事から戦場到着後にこれを降ろし、歩兵に「貸す」為の装備では無いかと思われるが、現時点では用途を説明する資料はなく、そもそも車載の2挺のみを装備とする説明が多い。これは実際は定数である3挺目を搭載しない運用が多かった為だと考えられる。
*21 33年8月とするものもある
*22 同じく34年3月の異説あり
*23 内1両は試作車と数える資料もあるが、34年からの生産数が51両とされる事から試作車含めて52両生産が正確な数字だと思われる
*24 39年時の残存数を見る限り正確な数字とは考えられない
*25 本来なら第3大隊は第7-9中隊で構成される筈である。誤記か、臨時に編入されていたのかは不明
*26 19両とする説もある
*27 車両番号13.403
*28 8月25日と思われる
*29 後の第2師団
*30 11月8日に2両がパルチザンにより撃破されたとされる。車両番号は13,399と13,411
*31 記録通り6両撃破された結果として16から13両に減ったか、撃破されたとする6両中1両は後送されて18が13両に減ったかは不明

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