ティモシェンコ のバックアップ差分(No.2)

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*元ネタ紹介 [#introduction]
元ネタはセミョーン・コンスタンチノヴィチ・チモシェンコ(Семён Константинович Тимошенко)。
ソ連邦英雄を二度受領した他、勝利勲章とレーニン勲章5個。更に十月革命勲章、赤旗勲章5個、一等スヴォーロフ勲章3個を受賞するほどの人物。
階級はソ連元帥でこの上には大元帥が存在したが、大元帥はスターリン自らが自分ひとりのために考えた階級なので、実質的には最高階級である。
三年間だがソビエト連邦国防人民委員部を務めてた。
1970年に死去。遺体は赤の広場にあるクレムリンの壁に埋葬されている。
MVP時のセリフ「『私の歌』でも歌おうか?」の台詞の通り、ティモシェンコ元帥を讃える歌がある。
**SU-122 [#p06f11e0]
SU-122はソ連の自走砲。122mm砲を装備していたので122と名前に付いている。T-34の車台を使用した最初の自走砲である。
1941年夏に独ソ戦が始まると、ソ連軍はドイツの三号突撃砲に大きな衝撃を受けた。将兵は「アルトシュトルム」と呼んで恐れ、捕獲した突撃砲は積極的に再利用された他、戦車の自走砲化における格好の研究材料となった。
これ以前にもSU-122やSG-122と呼ばれた自走砲が複数あったようだが、それらも捕獲した三号戦車や三号突撃砲をベースに改造した試作車両である。
このSU-122は1942年10月に開発要求が出され、同年12月には試作車両を含め25両が完成するという急ピッチでの開発だった。
三号突撃砲に比べて遥かに単純なデザインの傾斜装甲を持った戦闘室を備えるが、牽引砲である122mm榴弾砲M-30を殆どそのまま車載化しているため巨大な駐退・複座機が車外に大きく張り出しており、オリジナルの装甲カバーでは間に合わず増加装甲を装着している車両が見受けられる。
またドライバー用ハッチは乗り降りのできないただの視察窓サイズにまで小型化しており、クルー全員が天井にある1つのハッチで乗り降りしなければならなかった。
T-34譲りの防御力と強力な122mm榴弾砲を持ち前線では好評だった本車であるが、弾道特性などから対戦車戦闘には向かず、成型炸薬弾が配布されるようになっても命中率の低さからあまり効果はなかった。
そこで主砲を85mmカノン砲に換装したSU-85が登場。長砲身になったことで初速や精度、貫通力が格段に向上した。
しかし視界の悪さや乗り降りの不便さは変わっていなかったため、ハッチ付きキューポラを取り付けるなどの改良がなされたSU-85M、さらに主砲を100mm砲に換装したSU-100も登場した。
他に固定式戦闘室の自走砲としてはSU-152とISU-152などが存在するが、こちらはベースが違う全く別系統の車両なので触れない。


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