ドゥミトレスク のバックアップ差分(No.1)

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*元ネタ紹介 [#introduction]
ルーマニア第三軍司令官ペトレ・ドゥミトレスク大将。
国情不安定なルーマニアで枢軸側として独ソ戦に協力すべく第三軍を率いて参戦。
しかしドイツ軍と比較して装備や練度で劣ることや、ドイツ軍との連携不足をソ連軍に見抜かれ、
スターリングラードへの反攻作戦となるウラヌス作戦で集中的に狙われ、わずか5日で壊滅的な打撃を受ける。
以降ドイツ軍のもとで参謀長に[[ヴェンク]]を置いて再編され、1944年まで各地で戦い、柏葉付鉄十字章を受ける等活躍する。
しかしルーマニア国内で国王によるクーデターが起こり、連合国側で参戦すると予備役に回され、終戦後戦争裁判で有罪となり投獄された。
1948年ないし50年に獄死したとされる。

**R-2(LTvz.35)軽戦車 [#x36f7d5e]
チェコスロバキアで開発された軽戦車。チェコ国内だけで300両配備されたほか、ルーマニアにも120両ほどが輸出されR-2戦車として配備されている。
1938年からドイツがチェコを併合したため、チェコ国内に配備されていた本車は35(t)戦車としてドイツ軍の正規装備となった。
主砲に37mm砲を装備し前方25mm、側面と後方15mmという適切な装甲配置は、
当時の軽戦車としても完成度の高いもので、1号戦車と2号戦車が主力だったドイツ軍は重宝したという。
1939年に始まったポーランド侵攻にも早速投入されたが、
ここで35(t)戦車は[[TKS豆戦車(20mm砲装備)>オルリック]]1両とTK-3豆戦車(7.92mm機関銃装備)2両の待ち伏せにより、
13両も撃破されるという不名誉な損害を被った。&color(Silver){ポーランド人かて戦えるんやでー!};
以降も38(t)戦車や数の揃い始めた3号戦車、4号戦車とともにドイツ軍の主軸であったが、独ソ戦が始まるとT-34の前に全く歯が立たず、
ドイツ軍・ルーマニア軍ともに配備していたほぼ全車を損耗した。
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ちなみに変速機及び操向装置には当時画期的な圧縮空気を用いたものを搭載していたが、
ロシアのような極寒地では作動不良が多かった。
ドゥミトレスクが「寒い場所で変速機に自信が無い」と言っているのはこのため。


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