ブロニコフスキー のバックアップ(No.1)

元ネタ紹介 Edit

連戦連敗であるにも関わらず剣付き柏葉付き騎士十字章を授与されたヘルマン・フォン・オッペルン=ブロニコフスキーが元ネタ(オッペルン=ブロニコフスキーは二重姓(これで一つの姓)。名前はヘルマン)。
「ラスト・オブ・カンプグルッペ」において「必敗の名指揮官」として紹介されたことのある人物であり、重要な戦いで「彼の率いる軍が勝っていれば……」という場面が多い。「重要な戦いで負け続け」とはこのあたりか。
終戦時階級・所属は陸軍少将、第20装甲師団長

余談ながら1936年のベルリンオリンピックでは馬場馬術の団体競技で金メダルを獲得しており、戦後は馬術コーチ、1964年には東京オリンピックのカナダ代表チームのコーチとして来日もしている。

38(t)戦車E型 Edit

チェコスロバキア製の軽戦車。38は1938年に採用されたことを、(t)はチェコを意味する。38トンではない。
1939年のミュンヘン会談の結果としてチェコスロバキアのドイツ併合が決まったため、この戦車も同時にドイツ軍に編入されることになった。
戦車の数が揃わず、本来訓練用であるはずのⅠ号戦車、Ⅱ号戦車まで戦線に投入していた初期のドイツ軍にとって3.7cm砲を搭載したこの戦車はまごうことなき主力であり、最終的にソ連戦で戦力として不足であると判断されるまで長く戦線を支えることになる。
このE型は初期型の38(t)に対し現場から上がってきた防御面に対する不安にこたえる形で改修を重ねたもので、前面装甲が50mmまで強化されている。


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