マシュ のバックアップソース(No.1)
*元ネタ紹介 [#introduction] ジャック・エミール・マシュ(1908 - 2002)。第二次大戦終結時は中佐。戦後も軍に長く務め、最終階級は大将。 父も軍人であり、祖先にはナポレオン戦争の英雄ミシェル・ネイが連なるとされるが詳しいことは不明。 士官学校卒業後、主にアフリカ大陸のフランス植民地へ駐留する部隊を転々として戦間期を過ごした。 #br 第二次大戦が勃発し、祖国フランスがドイツの電撃戦によって6週間で敗北すると、フランス領赤道アフリカにいたマシュは、 [[ド・ゴール]]の演説を受けてドイツと戦う道を選ぶ。 当時ド・ゴールの設置したフランス国民委員会(後の自由フランス)は国際的な知名度が皆無に等しく、 赤道アフリカを除く仏領植民地の殆どがヴィシー政権側についた上に、メルセルケビール海戦の勃発により英仏関係も悪化しており、 前途は多難であったが、マシュは[[ルクレール]]の配下としてチャドを鎮圧した後、イタリア領リビア南部フェザーンへ侵攻。 1942年末には[[ロンメル]]軍を撃破した[[モントゴメリー]]率いるイギリス軍と合流し、アフリカ戦線終結まで英軍指揮下となる。 その後モロッコにてルクレール率いる第二機甲師団の副師団長となり、ノルマンディー上陸作戦以降パリやストラスブール開放を行った。 #br 終戦後すぐにルクレールが事故死し、ド・ゴールも政界を引退したこともあって、大戦中の英雄であり現役の軍人でもあるマシュの人気は高かった。 1954年にアルジェリアで独立運動が活発化し、アルジェリア民族解放戦線が組織されるとフランス政府は軍を増強し武力鎮圧を図ると、 マシュもこの戦闘に参加し、1955年には落下傘旅団長、2年後には師団長に昇進する。 しかし独立運動は泥沼化し、独立容認派が多数を占める本国政府と、独立阻止を訴える軍部の対立に発展した上、 軍部は本国政府打倒のためクーデターを引き起こす事態にまでなってしまう。 この状況を収拾するべく、引退していたド・ゴールが1958年再び政界に復帰する。 ところが、大戦の英雄であり軍にも理解があると踏んでいたマシュたち軍部の思惑と裏腹に、ド・ゴールは手のひらを返して独立を容認。 マシュはド・ゴールを激しく非難して師団長を解任されるが、それでも軍を退役はせず、現役に残った。 これにより、フランスは軍部のクーデターにより第四共和政が打倒されたにもかかわらず、軍事政権ではなく大統領の権限が強化された第五共和制という、 世にも珍しい革命の顛末を迎えた。(当然ド・ゴールは軍部から猛烈に恨まれ、何度も暗殺を計画されることになる) #br 1961年にはド・ゴール政権の打倒を目指す、いわゆる「将軍たちの反乱」と呼ばれるクーデターが勃発したが、 国内の混乱を助長するとしてマシュはこれには同調しなかった。 ド・ゴールの演説と当時大流行したトランジスタラジオの普及により、反乱への同調者は少なく、結局クーデターは5日で鎮圧された。 #br 1968年、学生運動に端を発した5月革命と呼ばれる反体制運動のさなか、ド・ゴールとマシュは会談を行い、過去を水に流して政府と軍が一体となることを確約した。 これにより政府側が一体となって反体制暴動に対処したことで5月革命は終結。 軍と政府が和解したことでフランスの政治は安定を取り戻した。 #br 翌1969年、ド・ゴールの政界引退とともにマシュも軍を退役し、2002年に亡くなるまで自伝の執筆活動などで余生を過ごした。 #br **M4A1 シャーマン [#bc854d7e] シャーマン戦車のアホみたいにたくさんあるヴァリエーションのひとつ。 #br 主砲が75mmキャノン砲になっているのは、ベースになったM1897 75mm野砲がフランス製だから。 #br 詳しくは[[雑学のM4中戦車へ>雑学#f73f0d21]] |