マルティン のバックアップ差分(No.1)
*元ネタ紹介 [#introduction] かなり情報が少ないが、おそらく1942~43年当時独ソ戦において第521戦車駆逐大隊の指揮官であったクリスティアン・マルティン中尉と思われる。 1943年1月20日、スターリングラード戦の最中に騎士鉄十字章受賞。 1月30日にヒトラーはスターリングラードにて包囲された第6軍へ事実上の全滅命令を出し、絶望的な状況下でマルティンも戦死する。 翌31日に司令官[[パウルス元帥>パウルス]]は赤軍へ投降し、個別に抵抗を続けていた部隊も次々に降伏。 2月2日、スターリングラードの戦いは終わった。 #region("クリックで展開") #table_edit2(,table_mod=close){{ 同じ場所で戦っていたマルティン・ワンデル将軍という人もいる。 第一次大戦にも従軍経験があり、国防軍で砲兵隊を率いて戦った。 1942年11月、ソ連の一大反攻作戦「ウラヌス作戦」により包囲され大きな被害を出した第24装甲師団の指揮官に任命される。 部隊は厳しい状況に置かれ、救出作戦ともいうべき冬の嵐作戦も失敗する。 年明けの1月10日から始まったソ連軍の「カリツォー作戦」による大攻勢の最中、戦死した。 }} #endregion **VK3001(H) 12.8cm自走砲 "Sturer Emil" (12.8 cm Selbstfahrlafette auf VK3001(H)) [#w12efb7f] VK3001(H) Sturer Emilはドイツ軍が第二次世界大戦中に試作した自走砲。"シュタール・エミール"、"シュトゥーラー・エミール"(Sturer Emil:しぶといエミール)の愛称を持つ。 搭載砲は12.8cm FlaK 40対空砲の発展型である12.8cm K40 L/61(ラインメタル社製)カノン砲。 砲は左右に7度づつ、仰角は10度で俯角は15度まで動かせた。携行弾数は18発。 シャーシにはヘンシェル社が以前開発したVK3001(H)重戦車が流用されている。ただし、側面の転輪が1組増設され、車体も伸ばされてる。 本来ならば、砲塔が設置される部分にはオープントップの大型戦闘室が設けられた。 完成数は2両で、それぞれ「マックス」と「モーリッツ」の愛称が与えられた。揃って東部戦線に投入されたが、1両は破壊され、もう1両は1943年に労農赤軍によって鹵獲された。 クビンカ戦車博物館にて展示中。 *コメント [#contemt] #pcomment(,reply,10,) |