ユーティライネン のバックアップ差分(No.1)

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*元ネタ紹介 [#introduction]

クルト・アルトゥール・ベンノ・シュトゥデント空軍大将(1890 - 1978)。
1910年に20歳で士官候補生として軍に入り、当初軽歩兵大隊に入隊する。その後飛行機の操縦資格を取り、1913年には飛行機部隊へ所属する。
第一次世界大戦中はパイロットとして戦い、1916年には「フォッカーの懲罰」で有名なアインデッカーを受領。
終戦までに6機を撃墜している。
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第二次世界大戦が始まり、フランス侵攻への足がかりとなるオランダ・ベルギーへの侵攻作戦において、降下猟兵は極めて革新的な役割を担い、その目標を達成した。
オランダもベルギーも強固な防衛線を敷き、そこでドイツ軍を迎え撃ち、更に危険が迫れば橋を爆破して進行を遅らせる手はずであったが、
降下猟兵は要塞を文字通り飛び越えて降下し、橋を奪取、要塞を無力化した。
シュトゥデント自身はロッテルダムの飛行場確保のために降下したが、オランダ軍の激しい抵抗にあい、流れ弾が頭部に命中し重症を負った。
&color(Silver){昔は流暢に話せたのだが額に銃弾を受けてしまってな…};
その後のベルギーのエバン・エマール要塞では、堅牢強固にもかかわらず少数の降下猟兵により無力化され、世界中に降下猟兵という存在を鮮烈に印象づけた。
降下猟兵の成功は電撃戦の立役者の一つであり、軍隊におけるエポックメイキングであった。
この一連の功績により騎士鉄十字章を授与されている。
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しかし降下猟兵による大規模な空挺作戦は、クレタ島攻略戦において非常に大きな損害を出したことからヒトラーの命により禁止された。
これ以降降下猟兵はほぼ地上のエリート部隊として終戦までを戦うことになる。
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降下猟兵の最も鮮やかな作戦は、ムッソリーニ救出作戦であろう。
この作戦は成功後のドイツの喧伝により、あたかも武装親衛隊のスコルツェニーによるものと思われていたが、
実際作戦の計画と実行はシュトゥデントたち空軍の手によるものである。
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その後も降下猟兵たちは西部戦線において連合軍と激しい戦闘を繰り広げ、終戦後に連合軍へ降伏した。
シュトゥデントはクレタ島攻略戦の際、市民へ攻撃を命令した戦争犯罪の罪で起訴されたが、パルチザン活動への反撃だと主張。
懲役5年の判決を受けるが2年で仮出所している。


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