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エリッキ・ヨハネス・ラーッパナ少将(1893~1962)。 第一次世界大戦にドイツ軍として従軍し、一級鉄十字章を授与されるなど戦功を挙げる。 その後フィンランド内戦が勃発すると祖国に帰って白衛軍として戦った。
冬戦争が始まるとラーッパナは大佐として北カレリアの防衛に当たったが、ソ連軍の戦車部隊に対し十分な対戦車兵器を持たないため苦戦を強いられた。 火炎瓶など急造の対戦車兵器で終戦まで耐え凌いだものの、冬戦争終結まで防戦一方だった。
冬戦争の屈辱的な国境分割の後、継続戦争が勃発するとラーッパナは部隊を率い、約一ヶ月で戦線を旧国境線まで一気に押し戻した。 この功績をたたえて、制定されたばかりのマンネルヘイム十字章の3番目の受賞者となる。 ラーッパナの名声を一躍高めたのが1944年7月末から始まったイロマンツィの戦いであろう。 1月にレニングラードを開放しのを皮切りに、ソ連軍の侵攻は日に日に強くなっていった。 6月にはフィンランド軍の防衛戦は旧国境線から現国境線まで、更に北カレリア方面では国境線を割りこまれた。 1944年7月31日、防衛部隊の増援に到着したラーッパナは早速攻撃を開始した。 ラーッパナはフィンランド特有の複雑な地形を駆使したモッティ戦術でソ連軍を翻弄し、軽歩兵と騎兵で敵を分断・包囲した。 ソ連軍2個師団が完全に包囲されたため、増援の三個師団が派遣されたがフィンランド軍は巧みに森林を活かして合流を防いだ。 ソ連軍は3個師団でフィンランド軍の動きを包囲中の部隊からそらし、その隙に包囲された2個師団は脱出に成功したが、装備の殆どを破棄し、森を抜けての撤退であった。 ソ連は国境を押し戻すことにこそ成功したものの、要所の防衛線攻略にはことごとく失敗し、フィンランド軍への無条件降伏は断念せざるを得なかった。
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