ヴェンク のバックアップ差分(No.2)

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#twitter(https://twitter.com/milihime_reload/status/1041919271696134144)

* 元ネタ [#jfe26e7a]
*元ネタ紹介 [#introduction]
ドイツ国防陸軍第12軍司令官ヴァルター・ヴェンク。若干45歳にして司令官となったのは第二次大戦中ではドイツ軍のみならず世界でも最年少であり、「少年将軍」の名はこれに由来する。
(就任時45歳だから十分おじさんなのだがそれでもダントツで若かった)
しかし任命されたのは1945年4月7日、終戦わずか1ヶ月前のことであり、西部戦線維持のために配備されたものの内実はベルリンからの難民保護がほとんどだった。
ヴェンク自身もそれまで華々しい戦歴とは無縁であり、最年少という年齢からして「他にいなかった」故の任命だった。
しかしヴェンクは働いた。ナチスのためではない、ドイツ国民のために。
最盛期には50万人に膨れ上がった難民へ食料を配給し、住居を提供した。
2週間後、第12軍は第9軍と共同でソ連軍に包囲されつつあるベルリンの救援を要請された。
すでに軍団は正規の戦力など形骸化していたが、ヴェンクは演説を行った。
「諸君にはもう一度苦労してもらわなければならない。ベルリンとドイツを守るためだけではない、ドイツ国民を赤軍から守る、軍人としての責務を果たそう」
装備もまともに揃わない第12軍は士気の高さだけで赤軍へ突撃し、頑強に抵抗したが、第9軍との連携が取れずベルリン包囲網は崩せなかった。
ヴェンクは最後の手段として、25万もの難民をベルリンから避難させ、米軍占領下まで送り届け、ドイツの正式な降伏後に第12軍もアメリカ側へ投降した。
それまで騎士鉄十字章が最高の栄誉だった平凡な彼の、非凡な一ヶ月であった。
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上述の通り、第二次世界大戦中ではヴェンク氏が最年少の司令官であったが、
第二次世界大戦を除くとミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキーが最年少(25歳)で司令官となっている。
だが、スターリンによって粛清されてしまった。
**Sd.Kfz.250 [#r27c46f7]
Sd.Kfz.250はドイツのDemag(デマーク)社が製造した軽装甲兵員輸送車である。生産効率を上げるために構造が簡素化された新型とそれ以前の旧型が存在する。

欠点は重火器で簡単に破壊される。前輪に動力がなく、沼地などでは機動力が落ち、最悪の場合は後ろ向きで"前進"する必要があった。そのせいか、前線での評判は良くなかった。

Sd.Kfz.251と同じく、アメリカのM2/3装甲ハーフトラックと比べると、高価で複雑なわりに性能が似合わなかった。

派生型は14種類。ただし2種類は名前が変わっている。(Sd.Kfz.252 Sd.Kfz.253)
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なお、Sd.Kfz.250/3の後についてる(neu)は新型車体の事を示す。読み方は"ノイ"。
*コメント [#comment]
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