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ギャビン
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ギャビン
型式Personnel Carrier M3A1兵科機械化歩兵
画像装備欄
ギャビン.jpgM1ガーランド
空きスロット
空きスロット(改)
---
ステータス
No.055No.???
★★☆☆☆☆☆☆☆☆
体力24(24)/64?(?)/?
火力17(21)/??(?)/?
命中45(49)/75?(?)/?
装甲15(15)/??(?)/?
回避32(32)/70?(?)/?
対空5(5)/??(?)/?
偵察27(27)/60?(?)/?
Lv1裸(Lv1初期装備込み)/改LvMAX強化MAX裸
占領優→?
燃料9/64(?)?/?(?)
弾薬6/64(?)?/?(?)
1戦分の通常消費量/Lv1容量(改LvMAX)
改良・昇格
改(Lv20)
図鑑説明
第82空挺師団の指揮官として欧州で戦ったわ。
パラシュート降下もやって『ジャンピング・ギャビン』なんて言われたけど、
若すぎて指揮官だってなかなか信じてもらえないこともあったの。
失礼しちゃうわね!

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元ネタ紹介 Edit

第82空挺師団の歴代師団長の一人、ジェームズ・ギャビン将軍が元ネタ。
幼少の頃、産みの親に孤児院へ預けられたが、養子の引き取り先であったギャビン家は貧しく、12歳で学校をやめて働いていたが、あまりの将来の可能性のなさに17歳で家出して陸軍に入隊。
(家出をしてはみたものの、就職先にコネの類がない当時のギャビンにしてみれば、軍隊に入るしか道がなかったのかもしれない。実際、中将で退役後はすぐに再就職先が決まっている。)
学がないことにコンプレックスを持っていたが、当時の上官に士官学校への入学を勧められ、猛勉強して1年後に異例の若さで入学、4年後に士官の育成過程を終えて少尉に任官した。
(入学時18歳だったが、年齢で試験を落とされることを恐れて願書に21歳と書いている他、士官学校では勉強に追いついていくために朝4時半には起きて予習、復習をしたとのこと。)
アメリカ陸軍における空挺部隊の黎明期から空挺部隊に関わり、戦争の影響もあって30代半ばで落下傘歩兵連隊長を務めた後、将官になり、第82空挺師団の副師団長を経て37歳で第82空挺師団長に就任した。
空挺師団の幹部としてのギャビンは、パラシュート降下訓練を受け、空挺畑を歩み続けて落下傘歩兵連隊長を務めた生粋の空挺部隊指揮官である他、家柄とかを気にする必要がなかったせいか、将官に昇進した後もノルマンディー上陸作戦やマーケット・ガーデン作戦では、将官の証である星の階級マークの付いたヘルメットを着用して兵士と共にパラシュート降下したり、人がよかったりで、その勇気と人格は現場の兵士からの評判もよかった。
(ノルマンディー上陸作戦に参加したもう一つの空挺師団である第101空挺師団における当時の副師団長であったドン・プラット准将は、年功序列で第101空挺師団の副師団長に就任したものの、ギャビンのようにパラシュート降下ができない上、降下後は歩くことを厭わない空挺部隊の行動の本質を理解しておらず、降下後に歩くことを嫌ってジープを積ませたグライダーによる降下で参加したものの、搭乗していたグライダーが着陸後の滑走時に立木へ激突、積んでいたジープに押しつぶされて死亡している。)
そんな「勇敢」という言葉を体現するようなギャビンであったが、見た目は階級章以外が他の一般的な兵士と変わらず、アメリカ軍の将官としてはあまりにも若いため、捕虜にした敵将官から「お前将軍とか、ぜってー嘘だろwww」と何度も言われている。
(戦場なので戦闘服姿である上、当時の士官が一般的に携帯する拳銃を持たず、さらに一般兵士と同じM1ガーランドライフルを装備するのが好みだった。)
軍の内部での通り名は「ジャンピング・ジム」、「ジャンピング・ジェネラル」で、師団参謀も含めて当時はグライダー降下で参加することが多かった空挺師団の将官の中で、率先してパラシュート降下で空挺作戦に参加する師団長たる将官は、他の将官と一線を画する存在であったことがうかがわれる。
なお、士官学校への入学を勧めてくれた兵卒時代の上官は、他にも家庭教師役をしてくれる上官を探してくれたり、入学の手続きも進めてくれた。
そんな彼がネイティブ・アメリカンだったことからギャビンはいわれのない人種差別をとても嫌うようになり、軍でも徹底した反人種差別主義者で通っていた。

M3 ハーフトラック Edit

車体の説明のほうはマコーリフの項に譲るとして、ここではちょっとしたエピソードを紹介。
初期にM3を受領した兵士たちは見るからに強そうな車体を見て「今までトラックに乗っていた兵士たちに『装甲車』が与えられた!」と勇んで敵陣に突撃を敢行
強力なM2重機関銃の火力にモノを言わせてヒャッハーしようとしたものの、薄い装甲のせいで簡単に返り討ちに遭いボコボコにされてしまった・・・
はたまたとある将軍が視察に来たときのお話し。
将軍がM3を見て「ドイツの機関銃はこの装甲車の装甲を貫通するかね?」という質問をした。それに答えた兵士の返答は
「いいえ閣下!ドイツの機関銃の弾丸はM3の装甲の片側を貫き、中を飛び回るだけです!」だったそうな・・・
そんな話を聞いたかどうか、一応上層部では気にはしていたらしく色々と改良案を練ってはいたらしいが、結局実行されず
この手の兵器の銃座に防盾がつくのすらベトナム戦争まで待たなければならなかったという。


結局のところ車種自体の「装甲と火力、そして高い不整地走破性を持った兵員輸送車」というコンセプトは良かったが、
国家総力戦というコスト的に余裕のない社会情勢や、技術的な問題などで性能的に十分ではなく、ハーフトラックはWW2までの期間限定品だったと言えるだろう。
そしてその後は、強化された装甲と全装軌を持ち、兵員を安全に前線へと輸送できるAPC(装甲兵員輸送車)M113や、 初期型の銃座にまたもや防盾が無いのはどういうことなんですかね・・
さらに強力な装甲と火力を有して戦車と共に進軍、降車した歩兵に火力支援を提供できるIFV、ICV(歩兵戦闘車)M2ブラッドレーやM1126ストライカーへとその役目は受け継がれていくのである。


因みにこのM3、レンドリース法(米による他の連合国への軍需物資支援を定めた法。イギリスにスパムのトラウマを植えつけたのはこの法律)によって
イギリスやソ連にも供給され、運用されていた。

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