ミリ姫大戦~RELOAD~ 攻略 Wiki
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マラー
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*入手方法 [#get] [[ドロップ]]もしくは[[探索]]
#table_edit2(td_edit=edit,title_c=3,tr_edit=edit,table_mod=close,){{ |CENTER:BGCOLOR(#db8):36|BGCOLOR(#eda):297|CENTER:BGCOLOR(#db8):36|BGCOLOR(#eda):220|c |>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''マラー''| |型式|山岳歩兵|兵科|歩兵| |>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''画像''|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''装備欄''| |>|BGCOLOR(#eee):CENTER:&attachref(./224 マラー.png,nolink,);|>|[[ブルーノZB26軽機関銃>装備品#machineGun]]| // [[拳銃>装備品#handgun]] [[携行火器>装備品#handyWeapon]] [[携帯重火器>装備品#heavyWeapon]] [[小型火器>装備品#machineGun]] // [[小型砲>装備品#smallGun]] [[中型砲>装備品#mediumGun]] [[大型砲>装備品#largeGun]] [[ロケット弾>装備品#rocket]] // [[対空火器>装備品#AAGun]] [[搭載火器>装備品#planeMount]] [[砲弾>装備品#shell]] // [[光学照準器>装備品#sight]] [[無線機>装備品#radio]] [[搭載レーダー>装備品#radar]] // [[履帯>装備品#crawler]] [[増加装甲>装備品#armor]] [[増槽>装備品#tank]] // [[弾薬箱>装備品#magazine]] [[修理工具>装備品#repair]] [[書籍>装備品#book]] [[そのほか>装備品#other]] |>|~|>|'''空きスロット(改)'''| |>|~|>|'''---'''| |>|~|>|'''---'''| |>|~|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''ステータス''| |>|~|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''No.224''| |>|~|☆|CENTER:''★☆☆☆☆''| |>|~|体力|17(17)/&color(Red){42};| |>|~|火力|11(16)/&color(Red){34};| |>|~|命中|37(43)/&color(Red){82};| |>|~|装甲|6(6)/&color(Red){20};| |>|~|回避|47(47)/&color(Red){95};| |>|~|対空|0(2)/&color(Red){5};| |>|~|偵察|26(26)/&color(Red){55};| |>|~|>|RIGHT:SIZE(10):BGCOLOR(#dc9):Lv1裸(Lv1初期装備込み)/&color(Red){改LvMAX強化MAX裸};| |>|~|占領|CENTER:優→秀| |>|~|&ref(画像置場/fuel.png,nolink,70%,燃料);|4/36(&color(Red){46};)| |>|~|&ref(画像置場/ammo.png,nolink,70%,弾薬);|4/36(&color(Red){46};)| |>|~|>|RIGHT:SIZE(10):BGCOLOR(#dc9):1戦分の通常消費量/Lv1容量(&color(Red){改LvMAX};)| |>|~|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''改良・昇格''| |>|~||CENTER:''改(Lv15)''| // |>|~|~|CENTER:''昇II(Lv??)''| |>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''図鑑説明''| |>|>|>|故国の精鋭レズシュ師団を率いて、東部戦線で戦いました。&br;軍の皆さんと協力して戦果を挙げたあと、ローマやベルリンなど、&br;ヨーロッパの要所に駐在したんですよ。&br;でも、本当は戦いなんてしたくありません。&br;傀儡政権から国を取り戻そうとした民衆に協力したのですが、それが…。| }} CV:深川芹亜 イラストレーター:草宮るみあ *入手方法 [#get] [[ドロップ]]もしくは[[探索]] *セリフ一覧 [#cv] #region("クリックで展開") #table_edit2(,table_mod=open){{ |BGCOLOR(#ddd):140|BGCOLOR(#ddd):|440|c |>|>|BGCOLOR(#db8):''ミリ姫獲得''| |>|ミリ姫獲得|マラーです。戦いなんて……私は反対です。でも、仕方ないんですよね?| |>|>|BGCOLOR(#db8):''司令部''| |>|司令部(秘書選択)|分かりました。何でもおっしゃって下さい。| |>|司令部画面|今日は本当に静かですね。……ずっとこんな日が続けばいいのに。| |>|~|ぅとぅと……ふぁあっ!?ごめんなさい!眠くなってしまって…!| |>|~|お疲れ様です、司令官。ちょうどお茶を淹れたんです。ご一緒にいかがですか?| |>|部隊編成(配置)|戦い……なんですね。| |>|補給|次の戦いなんて、無ければいいのですが……。| |休養|短時間|少し、休んできますね。| |~|長時間|ごめんなさい、しばらくお休みします。| |>|高速休養|| |>|強化・改良・装備|平和のためには力が必要……何だか複雑です。| |>|~|この力、使わずに済めばいいのに。| |>|探索・特務開始|はい!皆さんに伝えてきます。| |>|帰還・特務終了|ただいま戻りました!| |>|探索終了|新しい方が参入されましたね。| |>|戦績表示|報告があるようですよ、司令官。| |>|放置|私、色んな国で働いた事があるんです。みんなが仲良くできる世界ができればいいなって……思います!| // |>|>|BGCOLOR(#db8):''出撃''| |>|出撃開始|仕方ありません。戦うからには、勝ちます!| |戦場マップ(拠点踏み)|ポジティブ|順調に進軍できていますね。この調子でいきましょう!| |~|ネガティブ|うぅぅ……難航していますね……。| |>|戦闘開始|平和のため、今は鬼になります!| |>|攻撃|一撃で決めます!| |>|~|降りかかる火の粉は払います!| |被弾|ダメージ|あぁ……!なんてこと……| |~|~|あぁ!……こ、これぐらいの傷、なんでもありません!| |~|大破|きゃ!?ふぐっ……負けられません……!| |~|擱座|そ、そんな……司令官、ごめんなさい……!| |>|掃討戦開始|逃がしません!| |>|攻撃(掃討)|ここが勝負の分かれ道……全力で行きます!| |>|MVP|勝てましたね!これが平和への第一歩でありますように…!| //|>|敗北|| |>|缶入りチョコ使用時|わぁ……!ありがとうございます!| |>|バウムクーヘン使用時|こんなに高級なものを……!うん、凄くおいしいです!| }} #endregion * 元ネタ [#introduction] アウグスティン・マラー(Augustín Malár) *1894/7/18 †1945/?/? „V bývalej československej armáde boli dôstojníci slovenskej národnosti zastúpení veľmi málo. Napríklad pred rozpadom ČSR (1939) bolo z 13 000 dôstojníkov československej armády len 420 slovenskej národnosti. Zo 140 generálov bol iba R. Viest slovenskej národnosti a zo 433 plukovníkov nebol ani jediný Slovák. Z 1004 podplukovníkov boli iba dvaja slovenskej národnosti – F. Čatloš a A. Malár.“ (Vojenské dejiny Československa IV. Praha 1988, s. 51) 彼はスロバキア軍において最も優秀な将校であった…とよく評されるがそれはどの程度のものであったか?上記のあるチェコスロバキア軍事情がそれをよく伝えている。 曰く、1万3千名居たチェコスロバキア軍将校団の内、スロバキア人は僅か420名。そして1004名居た中佐の内、スロバキア人は僅か2名。一人はチャトローシュ、もう一人はマラーであった。 また興味深いことに彼は経歴を通して最も「ハンガリー軍との戦闘経験が多い」軍人の一人でもある。 &color(Gray){なお、ご存知のようにスロバキア、ハンガリーの両国共に枢軸国の一員なのだが…}; 逆を言うと、二度もハンガリー軍の手から祖国を護り切った英雄なのだが、ミリ姫のマラーも(資料も)決してその事を多くは語らない。 「戦いは嫌いですが」と言いつつ戦場に赴くその本心は彼女のみぞ知るのである。 #region("長すぎる説明") アウグスティン・マラーはチェコスロバキアとスロバキアの将校である。 現オーバーエスターライヒ州グムンデン郡バート・ゴイーザーン・アム・ハルシュテッターセ町((Bad Goisern am Hallstättersee))((ちなみに、その三年前に同じ町からKarl Eibl歩兵大将(42年に柏葉・剣付騎士鉄十字章を21番目に、将官としては3番目に受章)が出生している。))にあるライターンでこの世に生を受けた。 1915年5月8日にブラチスラバの第72連隊に志願兵として入隊し、同年12月1日には第64連隊第4大隊第15中隊第3小隊長として転属。ロシア戦線に出征した。 1916年4月にイタリア戦線に送られたが、10月にイタリア軍の捕虜となった。 1918年12月から19年10月までハンガリー・チェコスロバキア戦争に従軍し、イタリアで編成されたチェコスロバキア軍団第7Čs.((československýの略))狙撃師団第33Čs.狙撃連隊((33. československý střelecký pluk。střelecký plukを英訳させるとライフル連隊とでるが、チェコ語では日本において狙撃連隊と慣習的に和訳される部隊をstřelecký plukと翻訳している事が確認されたのでそれに倣った。師団も同様))及び同第34Čs.狙撃連隊の中尉として小隊指揮官を務めた。その後、第7師団((7. divise。19年6月に第7Čs.狙撃師団から改編))情報参謀に転任。その後も詳細不明の旅団で情報参謀として勤務したようだ。 1927年から軍事大学((Vysokou školu válečnouに改名したのは34年))に入学し、30年に卒業。少佐に昇進し、第9師団((28年に北東のトルナバよりブラチスラバへ移駐))の参謀を務める。その後、35年2月までブラチスラバ地方軍司令部((Zemské vojenské velitelství v Bratislavě))で勤務。続いて軍事地理研究所((Vojenský zeměpisný ústav。23年にČeskoslovenský vojenský zeměpisný ústavから改名。K.u.k. Militärgeographisches Institutが組織の範とした))の統計部門((pro popis a statistiku válečných jevišť。意訳))で勤務。また同時に35年10月から39年3月までスロバキア・ハンガリー国境調整委員会に参加していた。 Homolov puč((ホモロフの反乱。定まった和訳は不明))発生時の階級は中佐。そして、スロバキア共和国独立後は(チェコスロバキア軍から編入された)第Ⅵ軍団((第11、12、17師団で編成。第12師団はカルパティア・ルテニアからの撤退戦で消耗、同師団隷下の第12連隊を再編して再投入したようだ。第11、17師団(旧第2山岳旅団)も戦力の大半を占めていたチェコ人兵士の帰国により弱体化。17師団隷下の第16、37連隊と師団未所属であったと思われる第20連隊が主力となった))の指揮官に任官し、スロバキア-ハンガリー戦争(別名、小戦争((Malá vojna)))において東部スロバキア防衛を指揮し、一部部隊は数両のLT vz.35とOA vz.30の支援下((敗走する歩兵の頭上を掃射して止める等の手段を含む))に反撃を行った。 1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻にスロバキアも参戦。フェルディナント・チャトローシュ((Ferdinand Čatloš))1等将軍((generál I. triedy。チェコスロバキア軍の階級をそのまま引き継いだArmádny generálに代わって40年10月に制定された階級で他国の大将に相当すると思われる。だが、39年4月からこの階級であったという資料もあり詳細は不明である))指揮するベラノーク野戦軍((当初は第1(Jánošík)、第2(Škultéty)、第3師団と各種支援部隊で構成されていた))隷下の第3(Rázus)師団((3月25日の動員後、28日現在の編成は歩兵2個連隊、同2個大隊が主力であった))師団長として従軍。師団の任務はスタラー・リュボフニャ((Stará Ľubovňa))からハンガリー国境までの国境線約170kmを守備し、独第14軍の右翼を援護することだった。この戦争中に師団が戦闘を経験したのは主に9月2日~4日のポーランド軍による逆撃によるもので、ニルジュニー・コマールニク村((Nižný Komárnik))を占領したポーランド軍から村を奪還する戦闘((村近郊の峠が主戦場だった))が最も激しいものだった。その後は独第XVIII軍団の進撃に合わせて北東方面に前進、9月11日に停止((Bukowsko―Cisnaの線。進出線の西端をブコフスコとしているが、状況証拠からの推測で正確なところは不明。東端はシスナで概ね間違いないと思われる))((師団隷下の騎兵部隊((Jazdecký priezvedný oddiel 3、第3騎兵偵察大隊。恐らくOA Vz.30装備で指揮官はJán Malár少佐))が進出先のティリチで抵抗を受けた、という説明もあるが地理的に余りにも隔たりがあるので第1師団隷下部隊の話ではないかと思われる。))した。 ポーランド降伏後も暫く第3師団((なお、その間に師団は再編され、第3師管区司令部(Veliteľstvo divíznej oblasti 3)に。再編当初は歩兵1個連隊、砲兵2個連隊、騎兵偵察1個大隊。更に余談だが、第1歩兵連隊が再び編成に復帰している。))師団長を務め、40年1月に第1師管区司令部司令に転任した。また40年2月15日より高等軍事学校((Vysoká vojenná škola))の設立に携わり、校長も兼任。 運命の41年6月22日。同日付で編制された第2師団師団長に任官。6月30日から8月12日まで軍集団((Armádna skupina))の隷下部隊として東部戦線に従軍((7月にウクライナ西部のリヴィウ州ドロホブィチ市(Дрогобыч)周辺で作戦していたようだが詳細は不明))した。 同年9月17日に警備師団((Zaisťovacia divízia))師団長に転任。師団は独南方軍集団((Heeresgruppe Süd))に組み込まれ、フメリヌィーツィクィイとジトームィル州で作戦した。そして、11月27日。快速師団師団長に転任。なお、余談だがその直前まで同師団の参謀長はゴリアンであった。((更に余談だが、当時の師団の秘匿名はクリヴァン(Kriváň)であり、「クリヴァン」師団と呼ぶことも出来る。なお「レズシュ」も同様に秘匿名であり、師団の名誉称号ではない。))当時、師団はロストフ州まで進出しており、マラーの指揮下で師団はルハーンシク州まで北上したと思われる。その後、再び南下してロストフ州((恐らくクイビシェヴォ村(Куйбышево)近郊))へと移動している。 42年1月2日に2等将軍に昇進((その後、1月23日にスロバキア人としては1人目の騎士鉄十字章受章者となったようだが、2月6日とするものもある。2人目にして最後の受章者はJosef Turanecである))したが、師団の指揮は引き続き執った。師団は2月中にロストフより後退してヴィーンヌィツャ州カルィーニウカ市へ。休養のためと思われる。そして、4月25日に師団長の任をJosef Turanec将軍((有能であったのは確かなようだが、親独的な態度や性格から軍内に敵が多かったもよう))に引き継いだ。 #endregion * 小ネタ [#f7007c79] *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)